こんにちは、harukaです。
2023年最新版「本好きの50代ビジネスマン1,000人を対象としたアンケート」(全国書店連合協会)を実施した結果に基づき、おすすめの歴史小説(幕末)をランキング形式でご紹介します。レビューも掲載していますので、参考にしてくださいね。
1853年 ペリー浦賀来航
1854年 日米和親条約締結
1858年 日米修好通商条約締結、安政の大獄
1859年 横浜港開港
1860年 桜田門外ノ変、和宮降嫁
1862年 寺田屋騒動、生麦事件、吉田東洋暗殺(土佐藩)
1863年 下関戦争、薩英戦争、八月十八日の政変、新撰組結成
1864年 禁門の変(蛤御門の変)、四国艦隊下関砲撃事件、第一次長州征伐、池田屋事件
1866年 薩長同盟締結、第二次長州征伐、徳川家茂病死(徳川慶喜が15代将軍に)
1867年 大政奉還、坂本龍馬暗殺
1868年 王政復古の大号令、戊辰戦争(−1869年)
1869年 版籍奉還
1871年 廃藩置県
3位 花神(かしん)
花神|司馬遼太郎
戊辰戦争で官軍を逆転勝利に導いたのに無名な総司令官・大村益次郎が辿った数奇な運命
幕末、尊王攘夷の急先鋒であった長州藩は薩摩藩に裏切られ、禁門の変(蛤御門の変)後は朝敵とされた上にイギリス、フランス、アメリカ、オランダの4カ国の連合艦隊から下関砲台が艦砲射撃を受け、さらに幕府からは征伐軍が派遣されるという絶体絶命の存亡の危機を迎えていました。小さな村の医者の子として生まれた大村益次郎【村田蔵六(1824−1869)】は、大阪の適塾で蘭学を学んだ後に親の跡を継ぎ村医として暮らしていました。
やがて、ペリー来航を機に蘭学者の需要が高まりを見せる中、伊予宇和島藩からの招聘を受けて出仕することになりました。宇和島では、西洋兵学・蘭学の講義と翻訳を行いながら、嘉藏という提灯職人と共に国産の蒸気船(微妙な差で薩摩藩が国内初)を完成させます。その後、藩主・伊達宗城の参勤交代に従い江戸に出た蔵六が、私塾「鳩居堂」を開校し、蘭学・兵学・医学を教え始めると、その噂を聞きつけた幕府からの依頼で宇和島藩雇いの身分のまま蕃書調所・講武所の教授となり兵学書の翻訳と講義を受け持つことになります。この時に長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と知り合ったことがきっかけとなり、ようやく生まれ故郷の長州藩からの要請により長州藩士として江戸勤めを言い渡されます。その後、第二次長州征伐では長州藩の危地を救い幕府軍を返り討ちにし、続く戊辰戦争では事実上の総司令官として官軍を指揮し、勝利へと導きました。シンプルに見れば一介の村医が官軍の総司令官になり活躍する立身出世伝のようにも見えます
しかし、よくよく見てみれば、彼はとても数奇な運命に弄ばれていたことが分かります。長州で生まれ育った蔵六が、「宇和島藩→幕府→長州藩」と随分な遠回りをしています。これは、この時代特有の身分制度の影響を強く受けています。また、医者であるはずの蔵六が、いつしか「兵学の権威者」として取り上げられるようになりますが、彼は実戦を経験せずに外国語の書物を翻訳することによって兵学の知識を学んでいたに過ぎません。
彼は不幸にも攘夷主義者によって暗殺されてしまいますが、もしも彼が生き残っていたならば、その後の日本の歴史は大きく変わっていたことでしょう。(現に戊辰戦争時点で西郷隆盛の謀反を念頭に鎮台や武器製造所の立地場所を指示した慧眼には驚かされました。)歴史に「たら・れば」を持ち出すのはタブーですが、そう思わずにはいられない、それほどの人物です。認知度は決して高くはありませんが、知っておいて絶対に損はありません!後述しますが、「峠」とセットで読まれることを強くおすすめします!
明治維新と言えば、たくさんの立役者が出てきますが、私はこの村田蔵六(大村益次郎)という人について、全く知りませんでした。(大村益次郎という名前だけ知ってました)田舎の医者にすぎなかった村田蔵六が、大阪で蘭学を学んだことから、宇和島藩から幕府、そして明治維新の雄・蔵六の地元長州藩へ取り立てられます。それから桂小五郎の推挙で、軍務大臣へ。やはり最先端は欧州でしたから、外国語ができるということは、大変な強みだったのですね。なぜなら蘭学書を読むことで、他の日本人が知らなかった数学や物理、そして兵法も知ることができたのですから。そして幕府の長州征伐を打ち破り、佐幕分子がクーデターを起こさんばかりに潜伏していた江戸を、平和に開放し明治維新へと橋渡しした偉大な功績を成し遂げました。この方の戦略がなければ、江戸は破壊しつくされていたかもしれないんですね。これまで知らなくってごめんなさい、って感じです。
いろんな角度で幕末を見ると現代での流れが見える!多角的に物事を見る大切さを気づかせてくれる小説
2位 峠
峠|司馬遼太郎
幕末の日本で永世中立国を目指した男が辿った数奇な運命の物語
「日本で永世中立国?」と不思議に思われるかもしれません。しかし、このお話の主人公である河井継之助【かわいつぎのすけ(1827−1868)】は、北越戦争(戊辰戦争の一部)で官軍が眼前に迫る中、「官軍にも味方せず、幕軍にも味方せず、越後長岡藩が中立の立場で両者の調停役を務める」ことを大真面目に考えた人物です。
これだけ聞くと「変な人」のようですが、彼は言葉だけでなく実力も兼ね備えていました。江戸で佐久間象山らに学んだ後に備中松山で山田方谷に師事して、当時としては画期的な「経済学」を学びます。その知識と洞察力で「幕府の命運が尽きようとしていることがしていること」、「大規模な戦争が起こること」を察した継之助は、江戸の藩邸・家宝を売却した金で価格が暴落していた米を買い、その米を函館に運んで高値で売り払った金で、最新鋭のライフル銃やアームストロング砲、ガトリング砲を買い、長岡藩の近代兵制を整備しました。とりわけガトリング砲は、その当時日本で3門しか存在しなかったうちの2門を長岡藩が所持していたという事実は、彼の優れた先見性を如実に表しています。
私が歴史の不思議さを感じるのは、方や官軍の総司令官となった大村益次郎と、それに対峙した河井継之助という二人の英傑が、ほぼ同時代を生き、共に早世したということです。どちらも生き残っていたならば、明治維新後の日本を先導する立場の人物として活躍していたことでしょう。それが叶わなかったことが残念でなりません。この二人に直接的な親交はありませんでしたが、同時代に生き、真逆の立場に立った似たもの同士の二人の物語には、とても深く考えさせられるものがあります。「花神」とセットでお読みになることを絶対におすすめします!
「長岡という小藩にうまれたことは継之助にとって不幸であったが、長岡という小藩にとっても継之助を生んだことは不幸であった。継之助は、長岡藩という藩に対し、分不相応の芝居をさせようとした」(下巻347頁)
河井継之助は先見の明のある人物であった。幕府による封建体制は瓦解し、武士の世は終わりを迎えつつあることもわかっていた。それなのに、なぜ、長岡藩を戊辰戦争に巻き込み、城下を火の海にし、自らも志なかばで命を落とすような選択をしたのか。それは幕府と縁の深い、長岡藩牧野家の家老という立場があったからだ。徳川の御恩を思えば、薩長に与することなど到底できない。それが主君である牧野家の揺るがぬ意向だ。
かといって幕府側に立てば、会津藩もろとも新政府軍と正面衝突し、勝てない戦に挑むことになる。そこで継之助が選んだのは、長岡藩を自主独立の国に育て上げることだった。藩の不要な財産をことごとく売却し、横浜で海外商人から新型の兵器を購入。藩政改革にも取り組み、藩の経済をよくすることにも尽力した。しかし、その志はかなわず、新政府軍との激烈な戦に巻き込まれる。自らの意思とは関わらず、一番避けたい結果へと突き落とされることになる。悲劇としか言いようがない。新政府か、幕府か。そのどちらにもつかないという選択肢は存在しえなかったのだ。
かなり評価の分かれる人物であったことだろう。新政府に恭順していれば、長岡を火の海にすることもなかったのかもしれない。罪なき民を多く犠牲にもした。この選択は正しかったのか。彼に対する評価を下す際に、誰もが悩むところだろう。そのような人物であっても、現代を生きる我々が継之助に魅力を感じるのは、「矛盾を孕みながらも、守るべきものを守るために戦った」という点に尽きるだろう。武士の世の終わりを予見していたにも関わらず、「武士として滅びる」という選択肢を取った。勝てないとわかっている戦に挑んだ。長岡藩の滅亡という犠牲を払ってでも、である。このような一種の矛盾こそが、より良く生きようとする人間の行動に、はからずも伴うものといえるのではないだろうか。これといった志もなく新政府に恭順した、世の中の主流に迎合するだけの意思なき日本人となって埋もれていくのか。はたまた、「武士」として死に、後世にその生き様を残すのか。彼は後者を選んだ。継之助の死から150年を経ようとしてる。すでに彼の生き方は日本人の良き手本となった。そして今後も彼の魅力は、ますます日本人に強く訴えかけるものとなるだろう。
封建制度の崩壊を見通しつつも、長岡藩藩士としての生き方を貫いた河井継之助の生き様を描いた小説。「死の覚悟を常に持った上で生きる意義のみを考えていく」という河井継之助の徹底された考え方・生き様が、上・中・下巻を通じて描かれている。そして、この徹底された生き様が、読んでいてある種の爽快感を与えてくれる。各巻で書かれた河井継之助の考え方・言葉が非常に示唆に富み、その多くが現代の我々にも大いに勉強になると思う。自己啓発本とは一種異なった刺激を得られる本で、バイブル的な存在になること、間違いなし!
河井継之助は陽明学の信奉者でした。「陽明学」と聞くと「激情型」や「苛烈」といった印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか?実際、大坂町奉行という立場で叛乱を起こした大塩平八郎(1793−1837)も陽明学者ですので、誤解されるのもよく分かります。
陽明学の基本的な考え方として、「致良知」【心と体は生まれた時から一体で、心が私欲で曇っていなければ、心本来のあり方は万物の理(善悪是非の判断)と合致する(良知)実践に当たっては良知を推し進めればよい(致良知)】と「知行合一」【知ること(知)と行うこと(行)は同じ心の良知から発する作用であり、分離不可能である。朱子学の「知先行後」(万物の理を極めてから実践する)であること、つまり頭で理解して行動に移すため、屁理屈ばかり言って実際に行動しないことを痛烈に批判した。】があります。
河井継之助は、幕府に義理立てのある自国が幕府を裏切ることを良しとしない一方、天皇に弓引くこともできないという究極の板挟みの中にあっても、消極的な日和見主義ではいられず、中立国(独立)構想が自然に生まれてきたのかもしれません。そして、同時に行動を伴ったのでしょう。北越戦争の苛烈さは戊辰戦争の中でも有名で、その結末は彼のある種の潔さが招いた悲劇だったと言えるかもしれません。
1位 竜馬がゆく
竜馬がゆく|司馬遼太郎
近代日本が産んだ不世出の英傑譚!龍馬の前に龍馬なし、龍馬の後に龍馬なし
多くの人が予想どおりの結果なのではないでしょうか?坂本龍馬(1836−1867)については、もはや説明の必要がないと思いますので、私の感想を言わせていただきます。
まず驚くのが龍馬の享年が31歳だということです。17歳で剣術修行のために江戸に遊学した後に帰藩し25歳で脱藩します。その後の7年という短い期間で歴史に残る数々の偉業を成し遂げているのです。私は「若いと言っても、せいぜい35、6歳くらいかな?」と漠然と思っていたので、事実を知って大変びっくりしたのと同時に「私は31歳までに何かを成し遂げただろうか?」と自分を省みずにはいられませんでした。
龍馬の最大の特徴は「人懐っこさ」でしょう。持ち前の愛嬌で勝海舟や幕府政事総裁職・松平春嶽、西郷隆盛、桂小五郎らの大物に愛されます。かと言って、媚びへつらうこともなく、計算高くもない「直球勝負」のスタイルも人を魅了します。また、時には駄々をこねたり、鼻水を袖で吹いたりと、どこか子供じみた所作・振る舞いが人間的魅力を増幅させます。かなり母性本能をくすぐられるタイプですね。「人たらし」という言い方は適切ではないかもしれませんが、その点では豊臣秀吉と同じタイプの人物だったのかもしれませんね。
次に注目したいのが、彼の創造力・想像力です。日本初となる株式会社(亀山社中→海援隊)を設立したほか、誰もが思いつきもしなかった「薩長同盟」を成功させたり、倒幕戦争突入直前に起死回生の「大政奉還」を持ち出してくるなど、常識的なスケールでは測れないほど思考が自由自在です。残念ながら彼は志半ばで非業の死を遂げましたが、彼は「どのような日本」、「どのような自分」を夢見ていたのでしょう?彼が生きていれば、日本という枠に囚われず世界に飛び立って行ったことでしょう。そして、危機が訪れた場合には誰もが「あっ」と驚く奇策で、日本を救ってくれたんじゃないか…と思いを巡らせることがあります。龍馬を見ていると、「どんな危機に陥ろうとも、諦めなければなんとかなるんじゃないか」と思わせてくれます。「できない理由を探すのではなく」、「どうすればできるのか」を常に考えて行動する超ポジティブ思考は、ビジネスの成功者の多くに通底するものがあるのではないでしょうか。
「この先いつまでも彼の姿を見ていたかった」、女にそう思わせるある種危険な男の物語です。
全8巻と超大作ですが、竜馬の魅力のおかげで退屈することなくサクサク読み進めることができるので、長編が苦手な方でも大丈夫です。私は、何かに躓くたびに何度も読み返し、元気をもらっています。
初めて読んだのは中学1年生12歳の夏。他の小学校から来た勉強もスポーツもできる同級生から良い本だから読め、と借りる事になった。彼の父は外国航路の船乗り、父の愛読書という事だった。文庫本でなくB6サイズで全5巻のハードカバー。繰り返し読まれたらしくカバーが取れかかりぼろぼろになっており、破らないように気を遣って読まなければならなかった。本にはそれぞれ『立志編』などのタイトルが付いており、かっこよかったと記憶している。
中学3年の時再度借りて読み。高校時代は文庫本を買った。大学時代にも読み、30歳手前の時期、実家を離れていたため改めて文庫本を買い足した。
今回51歳にして、kindleの司馬遼太郎フェアの文字を見つけ、「龍馬がゆく」全8巻、「坂の上の雲」全8巻、「世に棲む日々」全4巻、「この国のかたち」全6巻を大人買い。kindleはいい!iPhone、iPad、PC、どの端末で読んでも続きから読める。少しの空き時間も無駄にしない。まだkindle端末を所有していないが、俄然興味が湧いている。
20歳代に読んで以降、多くの本を読んだ。感銘を受けた本、単純に面白く読めた本、感情移入してしまった本、多くの良書に巡り会ったが、『龍馬がゆく』は私にとってやはり別格。龍馬の魅力、司馬遼太郎の文書構成など、私の感性を揺さぶる、琴線に触れてくる。息子が来春大学生になる。スポーツで大学に行く。立派な体格だ。とても敵わない。精神力も磨いて欲しい。大人の男として目覚めて欲しい。読む事を勧めているが全く興味がないようで残念。
私が、この書籍を購入するキッカケとなったのは孫正義さんの愛読書という動画内容でした。そこから生い立ちなどの動画、ソフトバンク創立、祖母との関係、家族を中、長期で支えるために中学生の時に誓った「実業家になる!」という夢。彼の行動原点を探りたくなり次第に読みたい、読んでみたい!という気持ちが高まっていきました。
孫正義さんは竜馬になりたかったそうです。もし現代に竜馬がいればどのような美しさを見せてくれるのか、また現代に、竜馬のような男が今、必要なのではないだろうか。時代を動かす人物には共通点があると感じています。素敵なアイデアだけでは意味がありません。命を投げ捨ててでも大事を成し遂げたい信念を持ち行動する。その大切さを何度も、何度も、、読みかえしていきたいと思います。素敵な文庫に出会えて幸せです。
活字が苦手という方にはマンガもあります。
鈴ノ木ユウ|原著:司馬遼太郎
おーい!竜馬|原作:武田鉄矢、作画:小山ゆう
まとめ
アンケート調査結果を基に「50代が選ぶ歴史小説|幕末ベスト3」をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
幕末は日本最大の激動期で、明治維新という革命前夜の膨大なエネルギーに満ちていることが分かります。そして、そのエネルギーは「尊王攘夷」というイデオロギーに集約されて一極集中型の爆発的な力を生み出しました。
また、江戸時代を通じて定着した格差システム(藩:親藩、譜代、外様、人:各藩の身分制度)に対する反発力がそこに加わったことにより、その爆発力は新しい時代を望む人々から熱烈な支持を受けたのでしょう。
今現在、私たちの身近な世界でイデオロギーの対立という構図はありませんが、誰もが潜在的な力や願望を内に秘めたまま、行き場のないエネルギーをうまく処理できず消化不良になっている気がしています。そのような「時代の閉塞感」を打ち破るためのヒントが幕末という時代背景に隠されているのではないでしょうか。
教科書では決して教えてくれない、私たちの道標となる先人たちの叡智を探究するために歴史を紐解いてみませんか?そこには、結末だけでは知ることができなかった人生のドラマが描かれています。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。